駄談2011

ドイツ在住のアーティストが雑談で築くネットワーク

山縣良和くん

日時:2010年12月8日

場所:曙橋、セツ・モードセミナー前の階段にて

聞き手:三村竜太郎(miu)

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miu:呼吸が荒いよ(笑)大丈夫?

yoshikazu:坂道、坂道だから。

miu:坂道ね。えーとだから、「ここのがっこう」がどういう人をターゲットにしていて、どういう人に来てほしいか?で、その人に対して、「ここのがっこう」はなにができるか?っていうのが質問ね。

yoshikazu:うん。

miu:どういうイメージがあるんじゃろうか?

yoshikazu:あの、もちろん、ファッションを好きな人に来てほしいなと思ってて。

miu:うん。

yoshikazu:それも、理想としては、何だろうな。ファッションって言葉にはいろんな意味が入ってて、例えば、大きく言ったら二つあって…

miu:うんうん。

yoshikazu:服装とか装いという意味って言うのと、流行って意味があるんだけれども。あのー、例えば服装って捉えるファッションと、流行って捉えるファッションでまた変わってくるじゃない?

miu:うん。

yoshikazu:僕はその二つを行き来したいな、と思ってて。行き来しながら、発想とか、交流できる場所があってほしいなと思ってて。それで(ファッションに)興味がある人に来てほしい。来てもらう人と、実際僕が行って、いろんなところでファッションを伝えるということができればいいなって風に思ってて。

miu:ふんふん。

yoshikazu:それで「はぐれもの」って言ったのは、僕の経験から来ているんだけど、僕が「はぐれもの」だったんですよ、実際。

miu:そうだよね?自分だよね?

yoshikazu:そうそう、そうそう。

miu:話きいてて、自分のため、みたいな。

yoshikazu:あの日本ではずっと、型があったらすごくそこにはまらなかった「はぐれもの」だったんですよ。

miu:はいはい、自分はね。

yoshikazu:そこで、すごくもがき苦しんだ、みたいな。

miu:うん。そうだろうね。

yoshikazu:だけど、どっか、ほんとにそれだけなんだろうかっていう、疑問が日本にいたときに常にあって。それを僕はどこかであきらめなかった部分があって。

miu:うん。

yoshikazu:いや違うんじゃないか、いう。いや、潰されそうになってたんだけど。その思い。半信半疑だったってのもあるんだけど。その思いで、去ったんですよ、日本を。

miu:そうね、日本を去ったよね、一回。

yoshikazu:日本を去って、それでやっぱりヨーロッパに行ったんですけど、そしたら、単純な話として、まったく違う価値観があったんですよ。

miu:それは、そうだろうね。

yoshikazu:180度ぐらい違ったんですよ。

miu:そんなに違ったんだ?実際そうなの?

yoshikazu:違ったね。

miu:それはファッションに対しての価値感?

yoshikazu:うーん、ファッションというか、僕に対する人の見方。

miu:あーそうか。確かにね。良和君を見る周りの目が違ったんだ。

yoshikazu:見る目も違ったというか、求めているものがぜんぜん違ったというか。で、向こうにいると、これだけ違うのかと。

miu:こんなに違いが出るのかと。

yoshikazu:日本にいると駄目扱いされてたから(笑)

miu:駄目扱い(笑)

yoshikazu:こんなに違ったんだみたいなぐらい、違ったんですよ。

miu:それはつまり、評価を受けたってことやね。

yoshikazu:うん。

miu:作り手として。

yoshikazu:何か僕、人とコミュニケーションできたんですよ。

miu:あー、なるほどね。

yoshikazu:できなかったのに。すごくコミュニケーションができなくて、それがコンプレックスだったのに、すごく人とコミュニケーションできて、という経験があって。僕のその体験もすごくあって。で、やっぱり、根本にあるのが、「伝えたい」っていうか。僕のものづくりにも関わっているところもあるんだけど、

miu:うんうん。

yoshikazu:何かねー。その人その人で、枠があって、そこから外れた、そこ以外のところでも何かあるんじゃないかっていうのもあるし、何かコミュニケーション求めるところとか、その人しかできないことで、あるんじゃないかって。

miu:コミュニケーションの可能性がある。

yoshikazu:うん。何かしらあると思う。という一種の、信じたい部分っていうのと。だけど僕も、感じてきたし、経験に基づいた部分っていうのがあって、そこを一緒になんか、掘り下げていく、その、背中を押すような。そういうのを、いれる、育てる環境になれば良いなというのが、僕の理想だよねっていう。

miu:えーと、もし、良和君が日本にいる間に、「ここのがっこう」があったら、自分自身、すごく救われてたと思う?

yoshikazu:あ、僕?思う。僕は、そこはすごく自分自身に投影している。

miu:だよね?

yoshikazu:これは、やっぱり、エゴなのかな!

miu:や、出た!(笑)他人を使って、自分のエゴを満たそうとしているわけだ。

yoshikazu:けど、そうかもしれない。

miu:それ自体は別に悪くないでしょう。

yoshikazu:僕、昔から、自分が先生だったらとか、そういうシチュエーション考えるのね。

miu:あー。わかるわかる。

yoshikazu:そういう癖があって、小学校、中学校ぐらいのときから。

miu:早いね。早熟かね。

yoshikazu:なんか僕だったらこういうこと言わないな、とか。僕だったらこういう感じにするんじゃないのかな、みたいな。

miu:すでに先生の視点が育っていたわけや?

yoshikazu:あったんです。で、僕ね、中学校ぐらいのときから、先生っていう職業が自分の中に特別なものとしてあったんですよ。

miu:あ、ほんとに。

yoshikazu:うん、もともとあって、だけど、まったくもって自分がなれるわけがない、馬鹿だったから。

miu:成績としては。

yoshikazu:成績としては、ほんとに、お前なんかなれるわけない、みたいな。

miu:ああ。

yoshikazu:だからまったくあきらめてたんですけど、まあ、いま。

miu:今ね、一応教えてる立場だよね。

yoshikazu:だから、そういう意味でいくと、僕が学生時代に出会いたかった先生を、どこまでかはわからないけど、やってる、と思う。

miu:ふーん。

yoshikazu:っていう部分はあるかもしれない。

miu:つまり、「はぐれもの」が来ても、居心地がいい、学べる環境。

yoshikazu:根本を否定したくないっていうか。

miu:あー、なるほどね。逆に言えば当時、根本を否定されたくないって気持ちがあったのかね。

yoshikazu:そう。

miu:で、否定されたわけか。

yoshikazu:そう。された気持ちには何回もなった。

miu:そこからここに戻ってくるわけや。で、「ここのがっこう」ってステップとして三つあるわけじゃない?最初が何だっけ?二つずつあるよね。コンセプト…

miu:「ここのがっこう」ってステップとして三つあるわけじゃない?最初が何だっけ?二つずつあるよね。コンセプト…

yoshikazu:「アイデンティティー&コンセプト」

miu:いきなり「アイデンティティー&コンセプト」って強いよね。で、次が、ディベロップメント…

yoshikazu:「デザイン&デベロップメント」

miu:そして最後が「コレクション&ポートフォリオ」。でも、いきなりさ、アイデンティティーていう言葉が来る訳じゃない?

yoshikazu:うん、来ますよ。

miu:最初何するの?「はぐれもの」が来て、じゃあアイデンティティーって。

yoshikazu:(笑)

miu:「はぐれもの」とアイデンティティー。社会に染まりきらない部分があるから「はぐれもの」としてやってくるわけじゃない?「俺は人が提示したどのアイデンティティーにもはまらなかった。でも俺のアイデンティティーは違うはずや」

yoshikazu:うん。

miu:でも、どこにもはまらないっていうアイデンティティーを抱えているから、はぐれちゃうわけじゃない?で、そこでアイデンティティーを学校っていう枠組みで…

yoshikazu:でも僕、もっとも大事なのはそれだと思ってるから。

miu:そうだよね。

yoshikazu:やっぱりクリエーションって、何から持ってくるかっていうと、自分自身。自分自身の見たもの、記憶したもの、経験とかそういうところからは嘘つけないと思っているから。

miu:や、それはそうだよ。

yoshikazu:だからまず自分のアイデンティティー、自分の内っていうものがどこから作られたかっていうと、自分の経験で、それを一番知っているのは自分自身だから。あの、まず自分自身たるもの、自分自身でありうるものとは何かっていうのを、自分でまずは、体験する、というか。認識する。

miu:掘り下げるっていう作業。

yoshikazu:掘り下げようという。で、すごく、僕がいつもやっている作業として、作ってたら「あ!」「あ!」っていう(自分に関する)発見がある。何で僕はこういうもの作ってるんだ。何で僕はこういうものに惹かれるんだろうっていうのを…

miu:自分で発見するプロセスがあるのね。

yoshikazu:結局、僕はものづくりっていうか何かを表現するときに大事な部分は、自分の美意識と価値観。何でそういう、自分の価値観っていうものがあって、美意識っていうものが生まれたのかっていうのを、自分の中で認識するのが大事だと思っていて、で、その価値観ってどこからきたんだろう、誰と出会って誰と会話して、誰からの影響を受けて、その根本を考えることが、僕、大事なんじゃないかなって考えてて。

miu:うん、ただその、自分のアイデンティティーを掘り下げるのって、普通の人でも難しい話だし、自分のこと自分が一番わかっているっていうのも、実際自分のこと自分でわかっている人は少ないわけだから、じゃあ、具体的にどういう作業をして、そのアイデンティティーを見つけていくのかっていったら、どういうことをやるんだろう?

yoshikazu:それは「ここのがっこう」全体でやることとして考えてるんだけど、そうなんですよ、そこが重要で。

miu:だよね。

yoshikazu:自分で自分が一番わからないっていう。

miu:そうそう。

yoshikazu:これがファッションの醍醐味でもあって、例えば自分自身っていうのを一番自分が見えてない。顔が見えない。コミュニケーションしてて一番大事なところを実は認識できない。自己紹介をすると、「僕はちょっと気弱で、コンプレックスがあって…」

miu:(笑)それ自分のことじゃない。

yoshikazu:自信がなくてっていう自己申告。コンプレックスがあって、自信がなくて、気が弱いっていうのって、どこからの情報から来てるかというと絶対的なものじゃなくて、人と比較して…。人の意見で、自分はこうなんだっていう風に認識しているところがあって。だから自分自身はわからないっていうのもあるんだけど、だけどある部分では自分が一番自分と付き合っている。例えば30年間あったら30年間。

miu:まあ、それだけのキャリアがあるわけだね。

yoshikazu:それはそれで、すごく大事で、自分自身にしかわからない自分の姿もあるし、あとやっぱり他人を通してじゃないと見えない、自分もあると。自分像っていうのは、自分が動くと人も動くようなところもあるから、そういう意味では、人からの客観性というのも大事だと思ってて。

miu:なるほどね。

yoshikazu:なので、自分自身を自分で掘り下げていくっていう機会とさらに、自分とほかの人が、意見を交換するっていう場を極力作ろうとしているっていう。

miu:例えば、さっきも聞いたけど、具体的にじゃあ、どういうことを通してアイデンティティーを掘り下げるのか。例えば、自分自身をソースとしたアイデンティティー、または他人をソースとした自己イメージを、掘り下げる際に、具体的に何かやるわけじゃない。

yoshikazu:うんうん。

miu:何をやるんじゃろうか?

yoshikazu:やってるのが、まず自分の中で言語化するってこと。

miu:言葉にするってこと。

yoshikazu:言葉にするっていうのは、やっている。

miu:それは、どういうことなんだろう。

yoshikazu:自分自身のイメージを文章化、言語化する。

miu:さっきの食事中の会話だったら、未来の奥さんは自分に対するリスペクトと母性がダブルで欲しいというような。

yoshikazu:そうそうそうそう。そういうところもやるし、で、それをビジュアルに起こす。

miu:なるほど。

yoshikazu:そういうことをやっている。で、ビジュアルに起こしたところで…。えーと。

miu:良和君もこの学校行った方が良さそうやね。(笑)

yoshikazu:(苦笑)

miu:だって、言語化でしょう?でね、アイデンティティーのあとに、コンセプトっていうのはまた別じゃない?そこのコンセプトとアイデンティティとの間の距離感というか、つながりは何なんだろうか。

yoshikazu:コンセプトってひとつの概念で。さっき言ったように、大事なのは美意識と価値観だと思ってて、それを概念として、コンセプトとして持つことが大事で、自分のアイデンティティー、30年間生きたら自分の30年間をいろいろ、自分の中でやっていくと。で、これからもちろん積み重なっていって、それが全部大事なんだけど、それの掘り下げて掘り下げていったアイデンティティーを考えていったうえで、そこから美意識と価値観っていうのが出てきて、その二つを自分の中でコンセプトとして作り上げることが、表現するっていう生涯のコンセプトになりうる。自分の、何だろうな、やりたいこと、やるべきことっていうのがそこで、感じることができる。

miu:なるほど。ただ、じゃあ極端な話、「良和君の美意識とは何ぞや?良和くんの価値観とは何ぞや?」と言ったときに、それはどこまで言語化できるんだろう?いま、美意識が大事です、価値観が大事ですっていうのは、もちろんそうだねって思うんだけど、それが誰の価値観、誰の美意識であるのか。じゃあ、良和君の美意識、良和君の価値観でいえば、それは具体的に何なのか、っていうことを、果たして良和君自体が自分でどこまで認識して、どこまで言語化できてて、どこまで作品化できてるかというと、どう思う?どこまでできてると思う?

yoshikazu:僕?

miu:うん。まあ、いま先生をやっているわけだけど。

yoshikazu:僕。僕は、どうだろうな。僕、自分の作品を語るときにね、あまりね、あれなんだよね。それを言われるとね、僕はね…。

miu:あれ?「ここのがっこう」はどこへ?

yoshikazu:違う違う違う。そういうんじゃなくてね、何かね、語ろうと思ったら語れるんだけど、ちらちらっとね、あ、僕、駄目だって。自信ないってことがちらつくから。何かね、駄目なところも良しとしているところがあるからね。でも、そうだそうだ、さっき言った最初に戻るけど、キーワードは間違いなく「はぐれもの」

miu:「はくれもの」!「はぐれもの」は間違いない。「はぐれもの」イコール自分みたいな。「自分のようなはぐれもの」。

yoshikazu:「はぐれもの」を認めてよ!(笑)

miu:そこは言語化、すごくちゃんとできてるよね。(笑)じゃあ、確かに「美意識」とか「価値観」という言葉って、伝わりやすいといえば伝わりやすいけど、すごくイメージが難しいのが、今「はぐれもの」って言葉を聞いたときに、あ、それは「良和君の価値観」っていう風にしっくり来るじゃない。それは良和君の美意識だよね?

yoshikazu:うん。

miu:それを「価値観」っていう言葉で常に使っていると言えるわけじゃない。僕にとっての価値観。美意識っていうのはじゃあ、「はぐれものを何とかしたいっていうことです」。これが自分ですっていえるんだろうけど。それがじゃあ、「ここのがっこう」の目的です。それが100%。または20%。

yoshikazu:うんうん、何かね、実は「はぐれもの」だけじゃなくて、あの、そこにフォーカスされすぎると、僕もちょっと違う、っていう部分があって。

miu:だよね。

yoshikazu:何かね、最終的にちょっとした、ころっと一回転して…。

miu:あの、自分が経験した、あの体験ていうのが、大きいんだろうね。日本を出て。

yoshikazu:良いじゃんって言いたいのね。最終的に肯定したいみたいな。

miu:ひっくり返る瞬間がみたいっていうのもあるのかな。

yoshikazu:ひっくり返って、肯定したいっていう感覚がすごくあって。もちろん、素晴らしい人は素晴らしいし、でも「はぐれもの」も良いよねっていう。はぐれもの「が」良いよねじゃなくて、はぐれもの「も」良いよねの方が近いかな。

miu:そうだね。「はぐれものだって良いよね」。

yoshikazu:そうそうそう、「いい人も良いよね」。「いい人駄目だよね」じゃなくて。

miu:皆を肯定したい気持ちがあるのかな。

yoshikazu:自分の好き嫌いは、ぽこぽこでてくるんだけど、でも最後にひっくり返すと、良いよねっていう。

miu:あー。

yoshikazu:良いよねって言いたい。すごく僕はあって。

miu:それ強いね。それは強いだろうね。

yoshikazu:そこでの揺れ動く感情があって、ぽこぽこそういうのが出てくるんだけど、けど最終的に表現したいのは、「はぐれものも良いよね。良い、も良いよね」っていう。

miu:ただ、その、ひっくり返すというプロセスは良和君にとって不可欠な気がする。単純にはぐれもの連れてきて、この人もありですって言うんじゃなくて、何かプロセスの中で、ひっくり返る瞬間があって、あれ?これってすごく面白い。

yoshikazu:何かね、僕の好き嫌いだけが出ちゃう作品がぽんと出てくると、なんか調子が悪くなっちゃうんだよね。

miu:ああ。

yoshikazu:そこでコミュニケーションできるところはあるんだけど、どこかね、調子悪くなっちゃうんだよね。

miu:なるほど。

yoshikazu:でね、何かね、はぐれものコレクションみたいな。

miu:なっちゃうのね。

yoshikazu:これも良いよね、これも良いよねっていう、そういうものの方が。

miu:育てる快感にはすごく近いってことなのかな。または、それがぜんぜん違うんだったら、「作品製作はこうです」。で、「ここのがっこう」ではこれを目的にします。ぜんぜん別物ですって言うこともできる。

yoshikazu:うーん、どうだろう。近いっていえば近いし、近くないっていったら近くないし。

miu:実際はそうだと思うよ。

yoshikazu:ん?

miu:実際はそんなに分けられるものじゃないと思うんだけど。じゃあ、どこが同じでどこが違うか、っていうところだよね。

yoshikazu:根本的に、肯定したいっていう気持ちは…。

miu:共通している。

yoshikazu:共通してるよね。うーん、なんか見つけてあげたい、みたいな。

miu:あ、それだそれだ!それいいじゃない。それがいいじゃない。

yoshikazu:なんか見つけてあげたいなっていう、簡単に見つかる人は簡単に見つかるけど、だから、他に行っても見つかるでしょっていう人よりも、コイツ曲者だなーみたいな(笑)

miu:わかるわかる。見つけてあげたい。

yoshikazu:なんかあるんじゃないかって感情のときと、この感覚、外じゃ認められないだろうなっていう、けど君、すごいよねって思うときは、やっぱ心がぐっとね。

miu:自分が生き生きするという。でも那須の子供のファッション・ショーはそういう部分が強かったかも。一人一人の子供にいろんなポイントがあるわけじゃない。すごくシャイな子がいたり、目立ちたがりの子がいたり、でも、基本的に一環してたのは、「見つけてあげたい」って感覚。

yoshikazu:そう、そこなんですよねー。

miu:それに尽きるのかな、やっぱり。

yoshikazu:だから、肯定したいというか。これもまた、エゴの話になっちゃうと思うんだけど。

miu:まあ、「他人を利用した自分のエゴの垂れ流し」って。

yoshikazu:(苦笑)

miu:いってみればそういうことでしょう。悪く聞こえるし、悪く思えるんだけど、じゃあ、なぜそれをするのかってことだよね。

yoshikazu:そこにもある種の情熱的な部分が、感情的な部分が出てくる感じはある。あのー

miu:うん。

yoshikazu:「肯定されたかった!」(笑)

miu:言っちゃった(笑)

yoshikazu:っていうことじゃないですかねー。

miu:それがある種、自分の原動力になっちゃってるんだね。

yoshikazu:そう。「肯定されたかった」っていうのが僕のもの作りや作品にも出てるし

miu:出てる、出てる。

yoshikazu:「ここのがっこう」にも出ちゃう。

miu:うん、それが、自分が肯定されたかったという気持ちを超えて、じゃあ、これからは俺が、人を肯定していくっていう風に、スイッチした瞬間に、立ち居地が変わるわけ。立ち居地が当事者になり、もっと大きな視点になってじゃあ、どうやったら、その、自分がじゃなくて、そこからはじめて、平川さんの言う「自分のエゴ」っていうものから、一歩出たクリエイションになっていくわけ。でも、結果的に自分のクリエイションでもあると。それは、垂れ流しじゃなくなるはずなんだ。

yoshikazu:うんうん。

miu:まあ、もうすぐですよ。

yoshikazu:まあ、そういう環境が作りたいな、ということを考えながら、まあ、試行錯誤しながら、そういうところをやっていきたいなと…

miu:うん。

yoshikazu:思ってます。

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山縣良和プロフィール

1980年生まれ。2005年 セントラルセントマーティンズ美術大学ウィメンズウェア学科卒業。インターナショナルコンペティションits#3にて3部門受賞。ジョン・ガリアーノのデザインアシスタントを務めた後、帰国。2007年4月 株式会社リトゥンアフターワーズ設立。

株式会社リトゥンアフターワーズ

http://www.writtenafterwards.com

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