駄談2011

ドイツ在住のアーティストが雑談で築くネットワーク

偽リスの檻2月23日

前日23時就寝、9時半起床。朝:シリアル、リンゴ、ヨーグルト。昼:野菜ニョッキ。夜:玄米、みそ汁、サラダ、謎のお好み焼き風。

今日は調子が悪く、本の日と決めて本を読む。天気も曇り。カメハメハ大王の息子のごとく、ジョギングには行かない。その代わりと言っては何だが、アトリエの中で縄跳びをした。夜はあきこと初ビデオ・スカイプ。盛り上がる。(多分おいらの方が)

写真:本の日

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中世のヨーロッパにおいて時計は、現世での時間の減少を示す道具とされていた。時代ごとに異なるメカニズムを持ちながら、変わらないのは、最後にゼロを示すまでひたすらに減っていく残り時間である。落下し続ける現在。そして底部に形成される、自分が染み込んだ時間の溜まり。部屋の中に今日、人が現れた。

偽リスの檻2月22日

朝:シリアル、ヨーグルト、リンゴ、コーヒー。昼:玄米、みそ汁、サラダ。夜:チャーハン。

無事にネット開通。めでたや。早速メールなど。これで引きこもりに拍車がかかりそう…。そんな16時、タシロがアトリエを立ち寄った。このアトリエで初めての約束なしの来客、しかも予想外のひとで驚いた。夜はマルコがあきこが注文したリスのボタンを届けにきてくれた。

写真:ジョギング最中。雪が溶けてきている。

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ずっと考えていたのだが、もし自分が新聞が伝える、あの世界に住んでいたとしたら、平和主義者になるだろうか、ならないだろうか。これが現代論理学の論争の中心であることが疑いないことだから、人間たるもの、立場は明らかにしなければならない。この問題についてはずっと前から考えていて、最近では軍備撤廃の方に考えが傾いてきている。その一方、実際問題として、僕の上に落ちると確信できるなら、爆弾にはいっこう反対ではないのだ。つまりは、個人の立場と公的な立場に立つのとでは、はっきりとした食い違いがあるわけだ。ところで、政治や国際関係のニュースのもっとあとのほうに、素晴らしい記事が見つかった。見出しは、「大発見に湧く生物界」。脳はあっても口のない海底生物が、二十世紀の生物学上の大発見として学会で話題になっている。アメリカ地理学境界の発表によれば、細長い虫に似たその奇怪な生物の名は、有髭(ゆうしゅ)動物、別名「くだひげ虫」。しかし普通の虫と違って、それには消化系統も排泄器官もなく、呼吸の方法もわからない。くだひげ虫を初めて調べた科学者は首を傾げ、手に入ったのは標本の一部ではないかと考えていた。それが全体であることを生物学者たちはようやく確信したわけだが、どんな風にそれが生きているかについては、未だに何もつかんでいない。けれども地球を取り巻く深い海の底で、それが実際に生き、繁殖し、それなりの方法で考えていることは、これで明らかになった。くだひげ虫は海底に場所を定めると、体の周りに管を分泌し、高くのばしていく。数年間で5フィートの高さに達するものもあるらしい。管は白い草の葉に似ている。発見が遅れた理由の一つはそんなところにあるのかもしれない。くだひげ虫は一生その自家製の牢から出ることはないらしく。その内部を上がったり降りたりするだけである。この長い虫に似た動物は、太さは25分の1インチ足らずだが、長さは14インチにもなることがある。その成長の初期に充分な食物を体内に貯蔵するので、それ以後の栄養の摂取は不必要なのだろう、そんな説をたてた学者もいた。しかし、くだひげ虫の幼虫にも消化系統は認められない。(引用:「リスの檻」)

偽リスの檻2月21日

前日2時就寝、8時起床。朝:リンゴ、目玉焼き、プレッツェル、コーヒー。昼:玄米、ブロッコリーと人参のみそ汁、サラダ。夜:野菜ニョッキ、プレッツェル

昨夜は片付け最中の段ボールの中から出てきたウォンカーワイの「イン・ザ・ムード・フォー・ラブ」をDVDで鑑賞。映像を流しながら書類仕事をするつもりだったのに、映画のあまりの色気に画面から眼が離せず、結局フルで観る。以前、観たときに分からなかったシーンの意味が今回解ったこともあった。今日も引き続きアトリエの一部片付けて、本など整理。外は快晴。ジョギングに出る。森の中、路上に頻繁に落ちている凍った馬糞をよけながら走る。乗馬クラブがあるのか、この辺りでは馬を良く見る。明日はついにネット開通(予定)。

写真:天気が良かったのでアトリエの鎧戸を全開にしてみた。開放感や素晴らしや。

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この白い部屋で、自分の眼球をぐっと押す。眼に見えている空間を歪ませることで自分の状況に、または自分を「飼っている」当事者にささやかな抵抗を試みているのである。もちろん眼球を押すことで歪むのは世界自体ではなく、わたしの眼の中を進む光であり、空間を自分の力で歪めていると少しでも思えるのは、単に自分の動作と世界の変化が同期しているからに過ぎないことはわかっている。いや、正確に言うならば、歪むのは光ではなく自分の眼球の中の光を受容する器官の、受け取り口の形の方だ。まっすぐに進む光?しかし自分は果たして「まっすぐ」というもの自体を信じているのか?この世界の中で直進するモノなんてあるんだろうか?何かがおかしい。思考が止まりかけている。それにしても僕は、何に気づいていないんだろう?それにしても僕はいったい、何に気づいていないんだろう?

偽リスの檻2月20日

前日2時半就寝。9時起床。朝:シリアル、ヨーグルト、コーヒー。昼:玄米、みそ汁、サラダ。夜;プレッツエル、サラダ。

自分は精神的には我慢強い方と思っていたけど、実際のところ持久力や耐久力はほとんどない。前夜、あきこと喋っていてそのことを実感したので、今朝からジョギングを始めた。1分で息が切れたが、30分、森の中を回って帰ってくる。天気は快晴、気温も多分プラスで、雪が次第に溶けてきている。アトリエに洗濯機がないので、バスで30分、洗濯屋に行く。デュッセルであきこが行っている洗濯屋と同系列の「Eco Express」。2週間分の洗濯物、色ものと白もので計3台を稼働させる。ひと回し3ユーロx3。洗濯粉50セントx3、乾燥機16分で1ユーロx2。

写真:洗濯屋

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人の生物時計が約25時間の周期を持つこと、それは光や社会生活などの同調因子によって、日々、24時間にリセットされていることはよく知られている。この同調機構に狂いが生じると、生体リズムと睡眠覚醒リズムがバラバラになって様々な不定愁訴の原因となる。いわゆる内的脱同調の状態で、時差ぼけや睡眠相後退症候群がその典型だ。ところが、光や時刻の情報を遮断した時間剥離実験を長く行っていると、ときとして睡眠覚醒リズムが50時間になる被験者がいる。その場合は生体リズムの25時間と2対1で一種の同調を示すので、内的脱同調は起こらない。面白いのは、この以上に長い一日を被験者は普通の一日としか感じていないことだ。実験室の中で、10時間眠っては40時間起きるといった「一日」を送っていても、被験者はその間に3回しか食事をとらず、食事の量も通常と全く変わらない。それでいて被験者の体重はほとんど変わらないというのだから驚きである。(引用:「睡眠の科学」)

偽リスの檻2月19日

前日0時就寝、6時起床。朝:りんご、ヨーグルト、コーヒー。昼: チョコクロワッサン、カプチーノ。夜:玄米、みそ汁、サラダ。

ハイコのところでフリードリッヒのライブストリーミングライブを鑑賞。Skypeを通じてインドのボンベイとウルム、アムステルダムのダンサーと音楽家がお互いの音を聴き、映像を観ながら同時にパフォーマンスする、予定だった。しかし、開始10分後にインドとウルムの接続はあえなく途切れ、そのまま復活することなく、試験的な失敗で終了。ライブストリーミングを中継するはずのホームページもまったく機能しておらず、見事に企画倒れなプロジェクトだった。それでも、こんなことが個人レベルで可能であることに21世紀を感じる。

写真:まだ回線がつながっているときのウルム側の状況

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座って、タイプライターを前にしているとき、短い物語を作ることがあった。新聞で読んだ人々を物語に登場させた場合、それらは全て最高の作品だった。自分がこしらえた人々の物語だと、できばえはあまり良くない。なぜなら…あまり良くないのは、実はみんなもう生きてはいないのだと思っているからだ。もしかしたら生き残りは自分一人ではないのか。だから彼らは最後の生存者である自分を、ここで、この部屋で、この檻で飼っているのだ。眺めるために、観察するために、観察して、その結果を…、どうするのだろう?その仮定が事実だとしたら、その仮想の観察者とは何者なのだろう?なぜ、この僕を研究するのだろう?何を学び取ろうとしているのだろう?これは実験なのか。僕が何をすると彼らは思っているのだろう?何か言うのを、このタイプライターで何か書くのを、待っているのだろうか?僕の反応や無反応が、行動様式の理論みたいなものを実証するとか打破するとかどうかするのだろうか?そして彼ら実験者たちは、果たして結果に満足しているのだろうか? (引用:「リスの檻」)

偽リスの檻2月18日

朝:シリアル、リンゴ、コーヒー。昼:野菜ラーメン、サラダ。夜:野菜ニョッキ

自分のやっていることがクリエイティブでないと信じている人から時々「アート=クリエイティブ=すごい」みたいな価値観を受け取ることがあるのだけど、それはあくまで現在、世間に蔓延るクリエイティブ信仰と、自分がクリエイティブではないという思い込みとの組み合わせの結果であって、彼らが、外部からの大きな影響はあるにせよその価値観を自分の中で創造し、それを全肯定しているという意味では実際、クリエイティブだなと思う。皮肉ではなく。ただその種のクリエイティブは最後には閉塞に向かい、あまり人を幸せにはしないんじゃないかとは思う。アトリエで黙々と制作していると、それだけで楽しいのだけど、別にクリエイティブとも自己を表現しているとは感じない。何をしているのか、そして何故なのか、実際、よくわからない。いまは市からお金ももらっているので、やっていることを社会的に肯定はできるのは救いではあるけれど。…赤ん坊まで遡ると、自己を表現することはそもそもコミュニケーションを目的にしているとして、果たして自分は厳密には何とコミュニケートしたいのか、もう一度整理する必要があるように思う。

写真:近所の修道院。

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新聞がまだ届いていた頃は、もちろん隅から隅まで読んでいた。同じ記事を3度も4度も読むこともあった。何かヒントやメッセージが隠されているんじゃないかと思ってさらに細かく、例えば、角度を変えて読むこともあった。それでもいま考えるに、100パーセント、積極的な態度で読んでいたかというとそんなことはなく、むしろそこにあったのは、猜疑心と、意固地と、倦怠と、そして怒りだった。思えば、読むことが許されている、という感謝など一度も頭に浮かんだことはなかった。自分はただ与えられたから読んでいただけで、決して新聞を愛読なんてしていなかったのだ。だんだん新聞がこの部屋に現れなくなったのもしごく当然に思えてくる。この部屋の意思などとは関係ないところで、自分は愛のなさ故に、新聞自体から拒絶されたのもしれない。

偽リスの檻2月17日

前日2時就寝、9時半起き。朝:クリームパン、コーヒー。昼:玄米、ブロッコリーと人参のみそ汁、サラダ。夜:野菜ニョッキ

最近、フリードリッヒの影響で生野菜を食べるようになった。彼にならってオリーブオイルと梅酢とごま塩をかけて食べる。性格に比べて、食は確実に変化するなあ、と思う。ときに場所の、または人の影響で。

写真:制作の日。3月の展覧会のための作品は充分にあるのだけれど、さらになにか新しいものが出てこないか探り中。

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この白い部屋にいると、いつ自分が起きているのか、それとも眠っているのか、その瞬間をとらえるのが困難である。(実はその、境界になる部分だけを、功名に誰かが消しゴムで消している、と考えている。しかしいったい何のために?)だから1日という単位は、定期的に部屋に現れる新聞がその基準だった。それもいまとなっては、新聞の伝える日付が果たして連続していたのかどうかも定かではない。自分が起きて眠った分だけ一日が生まれていたのかもしれない。いま、自分の記憶の範囲が届くのはかろうじて過去3日分、叔父のこと、博士のこと(名前が出てこない)、昨日床に落ちていた紙に、一日の長さについて書かれていたこと。(いや、紙は壁に貼られていたのだったか。)そして3日前までは新聞が届いていたこと、そしてその頻度が「毎日」であったことなどを覚えている。しばらくタイプライターを使っていない。このタイプライターとカメラを交換できたら、と思う。何かはっきりとした記録が欲しい。順番のある連続が欲しい。

偽リスの檻2月16日

前日11時半就寝、8時起床。朝:バナナ、ヨーグルト。昼:IKEAでミニ・グーラッシュスープ、クロワッサン。夜:チャーハン、サラダ

今日はバスで街に出て、大買い物ツアー。作品用のマテリアルを買い、3月末の展覧会用の額を買い、ハイコのところで紙を100枚ほどA4に裁断してもらい、いつものようにコーヒーを2杯飲み干し、食材を買い出し、途中IKEAの食堂で一息。気のせいかもしれないがIKEAのクロワッサンは少しシナモンの味がする。一度家に帰って荷物を置き、現在図書館。夜はウルムアート基金の秘書、シュースターさんに教えてもらった展覧会のオープニングに出かける予定。

写真:ウルム郊外のIKEA

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ブルガリアのことが頭に浮かんだ日から、新聞が部屋に現れなくなった。何か関係しているのだろうか。その代わりに今日は、床にこんな紙が落ちていた。「6億年前には一年が440日もあったことが古生物学の研究によって明らかになっています。これは、“一日が短かった”からです。因みに、6億年前は1日が20時間程度であったと計算されます。地球の自転スピードを落とした一番の理由は月です。月は地球にとって大きすぎる衛星なのです。」もしブルガリアについて考えていることと、この文章の内容が関係あるとしたら、いったいどの部分なんだろう?

偽リスの檻2月15日

前日0時就寝、8時起床。朝:シリアル、コーヒー。昼:クロワッサン、カップスープ。夜:玄米、ブロッコリーのみそ汁、焼き魚、ヌードルサラダ。

相変わらず雪は降り続いているが、気温がマイナス一桁になったのか、寒さを感じない。外でも動いていて全く辛くない。これは助かる。昨夜の帰り道、ちょうどサッカーのチャンピオンズリーグがやっていたので、カポの店でビールを一杯だけ飲んで観戦して帰った。バルセロナ対レバークーゼン。レバークーゼンにも惜しいチャンスはあったけど、レベルが全然違う。終始バルセロナが圧倒し、3ー1。バルセロナのプレイをみていると時々、流れが完璧すぎて、人間がやっているように思えないことがある。メッシは相変わらずのファンタジスタだった。フィールド上での彼のあまりに自由な発想ぶりに、レバークーゼンを応援しているはずのドイツ人も思わず笑ってしまう。

写真:今日も雪。

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叔父が繰り返しする話があった。「俺の仕事は凧揚げみたいなもんだ。俺は凧で、同時に糸も持っている。高く上がると遠くを見渡せる。高く上ると、遠くに嵐が見える。こっちに向かってどんどん近づいてくる。しかし嵐が眼下の街を襲うことはない。それは俺だけを吹き飛ばす嵐だ。」そしてその次の夏に、彼は実際、飛行実験の最中に突風に吹き飛ばされて亡くなった。何か大学の研究の関係だったと思う。確かその実験の調査活動のためにブルガリアに長い間、滞在していたのではなかったか。

偽リスの檻2月14日

朝:シリアル、リンゴ、コーヒー。昼:野菜ミソラーメン、夜:チキンとポテトのフライ

それにしてもアトリエは集中できる。誘惑が全くない。このまま、こういう生活をずっと続けていけたらと思う。少なくとも製作中は。久しぶりに街に出る。エスターとプロジェクト書類のチェックを済ませ、郵便局からケルンの日本文化会館に送付。ひとつ片付いた。

写真:今日のアトリエ

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部屋の中にはブルガリア、という単語だけが残され、後は沈黙が支配している。白い壁がやけに灰色がかって見える。「意識のパターンや記憶は、自由エネルギーを低下させ、安定化パターンとしての場を形成する。この場において、お前の生命力は下降する渦巻き型の回転エネルギーに転換され、その場にとどまり、よって、お前の生命力本来の流れが滞ると同時に、回転とともに中心が形成されるために、そこに『自己』さえ誕生する。しかしその『自己』がお前を幸福にすることはないのだよ。」と出発前に叔父に言われたときは、どちらかというと理屈が勝ちすぎる叔父の言ったことに、いつものように反発を感じたけれど、叔父の言うことは正しかったのかもしれない。ブルガリア、叔父はきっとブルガリアに住んだことがあったのではないのか。

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